Amazon Managed Blockchainを試したら、月額6万円請求された
ブロックチェーンにとても興味がある。
そこで、Amazon Managed Blockchainを試して、ITmediaに記事を書いた。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2006/18/news038.html
すると、Amazon から月、6万円の引き落としがされていた。
問い合わせしたが、2日間無視。
毎日、およそ30ドルが消えている。
====以下、問い合わせ内容 ====
Amazon Web Serviecesご担当者様
私は小塚昌隆と申す、ベルリンに住むITエンジニアです。
ブロックチェーンに興味があり、先日、ITmediaにてAmazon Managed Blockchainの記事を書きましました。実際に作業したのは2日ほどです。
https://www.itmedia.co.jp/news/articles/2006/18/news038.html
普通のAWSのサービスと同様と認識していたため、今月の請求、物凄い額が引き落とされていました。
問い合わせてますが、2日間放置されています。(ケース ID 2107854953)
「なぜ、お手軽にAmazon Managed Blockchainを試してみたら、毎月6万円ものお金が消えてしまったのか?」
理由を知りたいです。
* どこで実際に貴社にとって、1ヶ月6万円をユーザに請求できる根拠が発生したのか? (通信量なのか? そもそもBlockchain利用料が高額なのか?)
* 自分の設定にミスがあったのか?
* なぜ、Amazon Managed Blockchainのトップ画面には、
「Amazon Managed Blockchain ネットワークの使用を終了すると、ネットワークを離れ、支払いを停止できます」
という記述があるものの、ネットワーク使用を終了するための手順書が用意されていないのか?
* なぜ、料金説明で、「月6万円請求するケースもあります」という情報が不在なのか?
以上、ご回答ください。
また、即刻、ネットワーク使用を終了して下さい。払えません。
よろしくお願い申し上げます。
Django の url.py 設定メモ
仕掛かり中プロジェクトのフレームワーク がPython/Djangoなので、自習。url.pyの設定でハマったので、上手くいった例をメモしておく。
プロジェクト配下のurl.py
from django.contrib import admin from django.urls import include, path from django.conf.urls import include, url from my_app import views urlpatterns = [ path('admin/', admin.site.urls), path('my_app/', include('my_app.urls')), ]
diango.urlsとdiango.conf.urlsからincludeをインポートすることで、アプリフォルダのurl.pyとの連携が作られる。
diango.urlsとdiango.conf.urls、どっちがいいのか分からない。。
アプリケーションのurl.pyの設定
from django.conf.urls import include, url from django.contrib import admin from . import views from django.urls import include, path app_name = 'my_app' urlpatterns = [ path('', views.hello, name='hello'), ]
このファイルは自分で書く必要がある。
ビュー関数を書く。
アプリケーション/views.py
from django.shortcuts import render # Create your views here. from django.http import HttpResponse def hello(request): return HttpResponse("Hello World!")
ロックダウン状況下のベルリンから故郷日本へ
ロックダウン状況下のベルリン、自分のバンド、Funamushiのメンバー、全員自宅でビデオを送り合って、作成しました。是非ご覧ください。
Kaze no Torimichi(Path of the Wind)(from My Neighbour Totoro) Cover
▼ジャーナリストとして最近書いた記事
ヨハンナ・ツォイル(Johanna Zeul)
最近、ドイツのシンガーソングライター、ヨハンナ・ツォイル(Johanna Zeul)のバンドに参加しました。2017年10月5日のベルリン・プランツラオアーベルク、WABEでのコンサート風景です。是非、見てください!
Masha Potempa
ドイツのシンガーソングライター、マーシャ・ポテンパのバンドでベースを演奏しています。
見てくださいね!
耳コピ生活抄録(愛のメモリー、笑福亭鶴光、マルモのおきて)+α
最近、土日というかプライベートな時間で私が行うことといえば、 1) ドイツ語の勉強をする 2) 名曲のコード進行をギター(象さん)でコピーして下手くそな歌を歌い楽しむ 3) ちょっと気が向けば、プログラミングする 4) 座ってばっかりだとさすがに体がなまるのでちょっと散歩する くらいで、ここ一ヶ月ばかりはこのパターンに完全に定着してしまっている。「リア充極まりない週末」と他人に揶揄された時期もなかったわけではないのだが、基本的に上記のことを行なっているときに、自分は非常に落ち着くのである。 つい最近まで、 5) 一日中、酒を飲む 6) ディスクユニオンへレコードを買いに(売りに)行く もあったのであるが、(5)は内臓の調子が芳しくないことにより毎日は飲酒しないようにし始めたので我が休日風景からは後景化してしまった。(6)は最近ブログでも書いたとおり、ドイツロックに夢中になっていて、月末にドイツ旅行を企てており、そのための貯金をするため、誘惑渦巻くディスクユニオンに近づくことを自戒している最中であるため、後景化している。 よって、本週末も(1), (2), (4)(※(3)はできそうになさげ。。。情けない。。)三昧で過ごしたわけである。 さて、最近、会社の軽音部が盛り上がっている。盛り上がっている、と客観的な体で書いているが、まあ、無理やり自分が楽しみたいので、「盛り上がっている」という既成事実を作るため、そのように書いている。近日、アメリカに出向く同僚がおり、その壮行会と称して、社内バンドでの演奏を行う計画が進行しているのである。今日は、その練習のために、課題曲を3曲耳コピしたのである。その3曲とは、 ・松崎しげる「愛のメモリー」(作詞:たかたかし 作曲:馬飼野康二)(参考) である。今日は、この曲たちのコード進行解析を、カバーするに至った経緯などとおりまぜて、記しておくこととしよう。 ◎松崎しげる「愛のメモリー」(作詞:たかたかし 作曲:馬飼野康二)(参考) 最近会社に加わった新入社員Kの色がやたらと黒い。タバコルームに佇んでいる姿を見るにつけ、たとえスーツ姿であったとしても、常に海パン一丁が制服であるような雰囲気を醸し出しているため、「サーファーですか?」と尋ねると「ああ、よくわかりましたね!」と常に相手を立てるレスポンスを行うことができる類まれな能力を身に着けた男、K。 「松崎しげる歌うの上手いよね?」の一言から、松崎しげる「愛のメモリー」を歌う計画が立ち上がった!キーはBマイナーで、途中Cマイナーへと転調するが、とりあえず、Bマイナーのところのコード進行の骨格を見てみよう。
最近会社に加わった新入社員2人に「子役」(男・女)というあだ名がついた。見たまんま、子役っぽいのである。劇団ひまわりだとか、子役募集の広告に写っていたとしても違和感がないキャラクターを持ち合わせた子役たちなのだ。彼女、彼が踊って歌うためにコピー。キーはEメジャー。4/4拍子。
そのほか、「カントリー・ロード」とかMasha Qrellaの「Fishing Buddies」を演奏する予定である。 来週は、毎朝ほとんど9:00出勤で朝練である。僕は、アメリカに移住したケルト民族の暮らしに寄り添うアパラチア山脈のブルーグラス音楽とか、アイリッシュパブを中心にギネスを飲みながら低価格で楽しむイギリスのパブロックとか、ドイツのベルリンの壁崩壊後のロックとか、 どんな場所にいても音楽を一緒にできる仲間を見つけて、いつも一緒に音を出して生きていきたい。
■関連リンク: |
Stereolab ”French Disko” & Masha Qrella ”Fishing Buddies
最近は、ドイツ・ベルリンのロックにハマっている。ロックというよりポスト・ロック、というほうがいいのかもしれないが。 私は40代の所謂中年なのであるが、例えばバッド・カンパニーだとかクィーンだとか全ての70年代が全盛期のバンドを、いきなり再結成して日本でライブをやるからと聴いて、そこそこ一万円くらいの入場料を支払ったうえで、メンバーがヨレヨレな姿(失礼!あえて言ってます)を見に行ったり、お亡くなりになった(ボズ・バレル追悼)メンバーの代わりに、対して知りもしない若い代替メンバー(失礼!あえて書いてます)の演奏を聴かされたりするような、そんな『ミュージック・ライフなるもの』を40歳過ぎて行なったりしていることに、ほとほと嫌気がさしたのである。 これは、私の個人的な状態でしかなくて、他の40代がかのようなミュージック・ライフを営んでいるのを否定したいわけでもない。むしろ、80年代のMTVだとか(まあ、J-POPなんぞもその部類なんだろうが)を見たりなんぞして、その人の多感な青春期の想い出にドップリ浸ったり、その追憶が現代を生き抜いていく活力になっていたりするのであれば、それはそれで、大変幸せなことであり、逆に羨ましい限りなのである。全くそれを否定したいわけではない。素晴らしいことだ。自分もそうできればいいのだが、正直、所謂英米(そして日本)のロックに飽き気味なのである。自分が欲しい、ロックがそこにない。 そこそこ2000年代から現代にかけての英米ロック(ソウル系も含む)にも手を出してきたのだが、イマイチ、心に刺さるものがなかった。そんな私に転機は、下北沢のディスクユニオンにてJulia Gutherの"I Know You Know"をジャケ買いしたときに訪れたのである! ベルリン周辺のロックのなにが好きかというと、まずはその勢いと、レディ・メイド性(=マルセル・デュシャンからウォーホールに至るポップ性に近いもの)だ。大仰にアレンジをしたりスコアどおりにかっちりつくるよりも、少人数編成での録音、音の隙間が目立ち、一音一音が大切にされている感じがある。ともすればオーバープロデュースでしつこい味付けになりがちな現代英米ロック(本当に失礼!あえて、デフォルメして書いてます)とそこが大幅に違う。このレディ・メイド性は英国ロックにたとえるならば、Freeの'All Right Now'だとか、Brian Enoの"Another Green World"だとか、1980年代末のRough Tradeレーベルから出たYoung Mable Giants だとかRaincoatsに近い感じである。その背景には確実に、「今、この時代に、この音をださなきゃいけない」という衝動性・必然性のようなものがある。そこからロックも、パンクも、ファンクも、全ての音楽が新しいころの名作が生まれてきたと思う。 「おいおい、過去の英国ロックに喧嘩売っておいて、いまさら、Freeに例えるんかいな」と突っ込まれる方もいるであろう。だが、それとのベルリン・ポスト・ロックの大きな違いが一つある。 「ベルリンのミュージシャンは演奏が上手」。これに尽きる。現代のベルリンの若いミュージシャンは本当に演奏がうまい。例えば、今年(2012年)4月に来日したIt's A Musicalのパーカッション奏者、ロバート・クレッツィマー(Robert Kretzschmar)などリズムキープも素晴らしく、曲を解釈して適切にアップ/アフタービートを切り替えるなど非常に上手なドラマーである。そしてドラムを叩きながら片手でヴィブラフォンで副旋律を奏で、同時に歌う。私が大好きであり、かつ尊敬している Robert Wyatt先生などの若き時代のソフト・マシーンでのライブ映像を見た時の、”ちょっとガッカリ感”(あれれ、叩きながら歌ってると、ちょっと音程外れてるし、いまいちビートも遅れちゃうなあ…)と比べるのも失礼だが(注:あえていってます。本当にワイアット先生を敬愛してます)、 なんていうのだろう、「産まれた素養・出自の差」というものを、強く感じてしまう。その差、とは、 バッハが平均律を作った国なんだ、ドイツは。いわゆる近代音楽が産まれた都市のひとつなんだ、ベルリンは。 ということだ。 1990年代にリアルタイムでベルリンの壁が崩壊する映像を見た人も多いだろう。その社会情勢と音楽、とくにロックの台頭をこれまで私はあまり深追いせずに生きてきたのであるが、Julia GutherからMasha Qrella、Contriva、It's a Musicalなどのバンドを聴き進むにつれて、「なぜ、こんなに素晴らしい音楽が生まれるのだろう」という興味から、最近、ドイツ語を勉強して、勉強がてらベルリンの音楽情報を翻訳してみたりしている。 そのなかで、とりわけ考えさせられたのが以下の記事だ。 コチラの第一期牧歌組合ページの下方「コントリーヴァ(Contriva)とプロイセン人のソウルミュージック」。 ぜひご一読いただきたいのであるが、ソ連のスターリン政権の重要人物を祖父にもち、その遺産をベルリンのパンク、ロッカーが録音スタジオとして活用して、素晴らしい音楽を生み出していることが、本当に本当に驚きであり、喜ばしいことだと思う。 ということで、今日は5月4日に新譜『アナロジーズ』が発売されたマーシャ・クレラの「フィッシング・バディーズ(Fishing Buddies)」(こちら)のギター・フレーズで遊んでみよう。非常に可愛らしいラブソング・キーはCメジャー。
全体構成としては、I(トニック)→V(ドミナント)→IV(サブドミナント)→V(ドミナント)→I(トニック)のスリーコード。リズムはレゲエ風だが、ジャマイカレゲエのようなスパイスはなく、ジャパニーズ・レゲエのMutebeatのような感じ。ギターもTomatoesの松竹谷清のカッティングギターに近い気がする。このような、日本のレゲエや、ブライアン・イーノに近い「薄味な感じ」「軽さ」がMasha Qrellaの音楽にはある。 【B】パート
IV-V-I-VImの循環コードである。バッハや、パッヘルベルと同じく、音楽が生まれた国では、突拍子ないコード進行より、基礎的なコード進行が大切にされるのであろう。これは大変いい意味で、Masha QrellaやContriva, It's A Musicalのアンサンブルの美しさの下支えとなっていると思う。
Cm書いておいて、いきなり、Cメジャーからイントロは始まるが、この曲の陰鬱⇔明朗のコントラストは、Cメジャー⇔Cマイナーの同主調転調からきている。
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