ダウン州の星


Irish Heartbeat

 言葉を奪われることと、音楽




 かつて(10年前)、音楽(コントラバス)の師匠(参照)曰く。「お前にとって今一番大事なことは、お前の子供を育てることだ。お前は、24時間ベースを弾くという時間から離れて、音楽以外の仕事をしていかなければならないだろう。だが、どんなに忙しくて、苦しい時でも、一日に10分でもいい。音楽の練習を忘れないで欲しい。歌うことを忘れないで欲しい。自分がどうしても描きたい音楽を歌うこと。CDやレコードに合わせて歌いまくる。俺もずっとそうしている。なぜなら、音楽は右手や左手や体を使って出すものだが、その歌が出てくるのは結局頭のなかからだ。たとえヒットラーのような独裁者がいて、俺らを獄中に入れ、体を鎖でしばりつけ、右手左手を奪い取ったとしても、俺たちの頭の中にあるメロディ(勿論リズムもベースラインも)だけは他人に支配されることはありえない。それを出せて初めて、他人様が共感できるものを作れるんだ。どんな状況になっても『音楽的に考える』時間を絶対に忘れないで欲しい。『こんな絵が描きたい』と切実に願いながら、枕を濡らす夜を送っていくのだ」(大意。「」内、師匠の私への話から引用)。




 その後、僕はサラリーマンになった。だが、僕は師匠の言葉を忘れていない。生まれて初めて、尊敬できる人だったから。コントラバスの練習は正直継続できていない。すみません。ギターのほうがご近所さんにご迷惑をかけないので、深夜ギターを弾いていたりするが、たまに気合が入って大きな音を出し、女房に「何考えてんの」と叱られる。1995年から毎日、仕事から帰ってきたら必ず弦楽器を弾き、色々な音楽の仕組みを調べている。まだ子供が幼い頃、泣きやませるために、色んな曲(参照2)のコード進行を研究した。子供が泣きやんで、笑ってくれるのが嬉しかった。このまま人生が終わってもいい。音楽ファンである自分を誇らしく思っている。音楽って、それだけ素晴らしいものだと思っている。




 女房が「あんた、仕事以外は酒ばっかり飲んで、ベラベラ喋ってばかり。言いたいことあるなら、私一人に喋らないで、ブログでも書いていなさい」と言ったのが2005年5月。私は某社(上記リンクでバレバレだが)で、ブログを始めた。毎日、音楽のコード(CM音楽から、洋楽から、民謡から、クラッシック音楽から)をメモする手帳(3000ページ以上に及ぶ)を web 公開しただけと考えてたが、そのノートが、一週間前、とある”力”によって、総削除されるかもしれないという強迫を受けた。




 ということで、一週間、色々な勉強にはなり、それはそれで、責任を持つつもりだ。だが、僕は「音楽的に考える」ことをサボってしまった。これは辛い。本当に楽しくない時間だ。意外と、運命なり社会というものは、僕らの言葉を意外なタイミングで奪ってしまったりする。




 「言葉を奪われる辛さ」(参照)について、語り始めたばかりだ。「才能ではない、素養だ」と師匠は僕に言ったことがある。「音楽でしか語れないから、音楽家は音楽家なんだ。お前は他に語れるコトバがある。コトバを捨てなきゃ音楽家にはなれない」。僕は、多分捨てられなかったのだと思う。だから、ずっと、その言葉が心に残っている。




 黒人、ユダヤ人、ケルト人。彼らは、「音楽的才能に恵まれていた」だけではない。「音楽的にしか語れない、社会的状況(民族的差別だ!)がある→素養がある」ということだ。切実に歌わなければならないことがあるためだ。そして、「言葉を奪われた」民族の歌は、プロテストとか権利主張ではない、もっと美しい表現を生み出していく。「自分が虐げられた」「自分が被害者だ」とか、彼ら・彼女らは、あまり言わない。もっと、美しいことを語ろうと、歌おうと努力する。美しい日常、美しい偶然を見ようとする。そこが音楽の、そして「歌=歌詞」の素晴らしいところなのだ。僕は、もっともっと音楽を勉強すべきだ。「言葉を奪われた」世界中の人たちの、表現の時間を、踊りの時間を、その音楽を。





 そういう音楽。ヴァン・モリスン(Van Morrison)とチーフテンズ(the Chieftains)の「ダウン州の星(Star of the County Down)」が、この間ずっと頭の中に流れていた。アイルランド人であるヴァン氏が、初めて自分の、ケルト人であるルーツを大衆の前に明らかにしたアルバム「アイリッシュ・ハートビート(Irish Heartbeat)」(1987年リリース)の一曲目。ダウン州は北アイルランドの州、賛美歌でもある(どこの宗派かは知らず)らしい。街にやってきた美しい少女を称える素朴なアイルランド民謡で、18世紀に生まれた曲のようだ。




【A-1】
(In ) Banbridge Town in the County Down One morning last Ju- ly. From a
|2/4 Em-C |G-D7 |G-Em |D7-Bm7|
アイルランド民謡「the Stars of County Down」より引用




 結構忙しないコードチェンジになるが、ビートは2/4拍子と解釈した。常々思ってきたが、ケルトとユダヤの曲はマイナーなのか、メジャーなのかはっきりわからない。よく、ケルトの音楽は、単旋律から生まれている音楽であり、西洋和声学とは無縁である、という話を聴くが、そのためだと思う。ワンコードで弾きとおせたりするから。キーはEマイナーと思われるが、平行調のGメジャーとして解釈すると、


 VIm-IV-I-V7-I-VIm-V7-IIIm7


というコード進行。IV-I-V7と完全五度上昇進行が続いているが、1〜3節はEmワンコードでも弾き通せる。はっきり完全四度上昇進行を主軸とするコード理論からは、上手く説明できない。




【A-2】
boreen green came a sweet colleen. And she smiled as she passed me by. She
|2/4 Em-C |G-D7 |Em-Bm7 |Em|
アイルランド民謡「the Stars of County Down」より引用


 【A】パートの繰り返しだが、3〜4小節が異なる。歌詞を訳すと、「ダウン州バンブリッジで昨年7月の朝、可愛い少女が私の前を通り過ぎた」。美しい少女に出会ったことを歌っている。
「boreen」(=小道)「colleen」(=美少女)は元ゲール語(=ケルト語)の単語のようだ。




【B】
looked so sweet fronn her two bare feet to the sheen of her nut brown hair. Such a
|G |D7 |Em-C |D7-Bm7|
アイルランド民謡「the Stars of County Down」より引用


 サビになるのだろう。ブリッジ無しの【A】【A】【B】【A】構造はケルトが得意とするバラッド構造だ(多分)。コード進行は


 I-V7-VIm-IV-V7-IIIm7


 最後の、Bm7=Ⅲm7は多分Ⅴ7=D7の代理(D7=レ、ファ、ラ、ドとBm7=シ、レ、ファ、ラとで3音を共通)として使われているんだろうけど(その証明として、もBm7を演奏しなくても何とかなる)、こういった手法がケルト民謡独特だとも思うんだよなぁ。和声学的にはⅢm7はトニック(=Ⅰ)の代理であって、本来はⅤ7とは交換が効かないはずなのに。こういう部分よくわかっていません。勉強中。歌詞は、「素晴らしい素足と、ナット・ブラウンの髪の娘」。「fronn」もゲール語のようだが、意味がわからなかった。



【A-3】

coaxing elf, sure I shook myself for to see I was really there.
|2/4 Em-C |G-D7 |Em-Bm7 |Em|
アイルランド民謡「the Stars of County Down」より引用
 【A-2】パターンの繰り返し。歌詞は「甘い妖精の魅力に、正気でいることが精一杯だった」。「elf」はゲルマン語が起源のよう。




 この後、【B】【A-2】を再度、コーラス。これらのブロックを何回も繰り返していくダンス曲だ。歌詞については:古今東西音楽館さんの研究が参考になる。また、Wild Dismayさんがケルト民謡のメロディ収集、譜面、midiを公開しているのでコチラも参照。自分はヴァン・モリソン&チーフテンズヴァージョンからコードを耳コピしたが、コード解釈・拍子の解釈の違いがあるが、それはご了承。聴いたことの無い人は是非聴いてみて欲しい。




 音楽とは誰かさんの管理下にあるとか、管理外だとか、そんな話じゃない。はっきり言ってそんなのどうでもいい。音に名前は書かれていない。僕はもっともっと、音楽について考えていきたい。一週間サボるとダメだな。「音楽的に考える」ことも日々継続の賜物。またやりなおし。



■関連リンク:古今東西音楽館


Wild Dismay's Home




【校正履歴】


2005/11/23 09:44 曲名邦訳を修正(恥…)「county=州」。リンクなどを追加。