「音楽美学」を読む【6】大林宣彦監督「理由」





理由 特別版





宮部 みゆき


理由




野村 良雄


音楽美学 改訂

 自分が「音楽的に常識がある」人間である自信が無い。前回、「ベートーヴェンピアノソナタ第23番へ短調作品57の「熱情(アッパッショナータ、Appassionata)」は、実は「ヘ短調(=Fm)」ではなくて、「ハ長調(=Cメジャー)」と解釈すべきだ、というようなことを書いた。そして


IVm-I-IV-I




 の「サブドミナントマイナー→トニック→サブドミナント→トニック」のコード進行として、ベートーヴェン「熱情」を解釈した。自分は遍くベートーヴェン研究を読み込んだわけではないが、この解釈は「極論」と自分でも気付いている。




 さて、Iワンコード曲がIsus4を経てI-IVヴァンプにコードアレンジ可能(参照)とするならば、上記コードパターンは、


IVm-I


 の「サブドミナントマイナー→トニック」進行部が”肝”ということになる。これが、以前書いたサブドミナントマイナーとトニックだけで世界を表現できる」という話に繋がる。サブドミナントマイナーは、サブドミナントの色彩を持ち、かつ、ドミナントの色彩も持っているからだ。トニック以外に一つだけのコードを使って色彩豊かな曲を書け、という命令がもしなされたならば、それはサブドミナントマイナー以外の選択はありえないと考える。




 その「理由」を暫く、身近な例からケーススタディしてみよう。「理由」といえば宮部みゆき原作、そして大林宣彦監督が映画化した「理由」。この映画のオープニング部分及び各章冒頭などで流れているJAZZ風のBGM(大林宣彦氏自身の作曲であることが、DVD映像特典でわかる。脚本に監督がメロディをメモしている描写がある)のコード進行。「一家4人惨殺事件」の起こった東京都荒川区超高層マンション「ヴァンダール千住北ニューシティ・ウェストタワー」の管理人、佐野利明(演:岸部一徳。彼は映画での物語の語り部である)の登場するシーンで頻繁に使われている。テーマ部のウッドベースのラインをタブ譜に起こしつつ引用すると、





[A-1]
Cm G7/D Ab/Eb Fm
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:-----------------|---------3---3---|
A:-3---3---5---5---|-1---1-----------|
E:-----------------|-----------------|
Cm Cm
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:-5---5---3---3---|-1---1-----------|
A:-----------------|---------5---5---|
E:-----------------|-----------------|
大林宣彦監督映画「理由」のBGMから引用




 ビートはJAZZらしい3連シャッフルの4ビート。キーはCマイナーで、コード進行の構造は


Im-V7-bVI-VIm-Im


 ドミナントV7は、トニックIを仮想V変換(ブルースなどで使われるターンバックも同理論だ。後日解説)したものと解釈できるから、肝心な部分は


Im-bVI-VIm-Im


 bVIとVImは共にサブドミナントマイナー。よって、「トニックマイナー→サブドミナントマイナー→トニックマイナー」だけで構成されたコード進行であることがわかる。これの繰り返し部では、





[A-2]
Cm G7/D Ab/Eb Cm
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:-----------------|-1---1-----------|
A:-3---3---5---5---|---------3---3---|
E:-----------------|-----------------|
D7 G7
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:---------4---4---|-----4---5-------|
A:-5---5-----------|-5---------------|
E:-----------------|-------------3---|
大林宣彦監督映画「理由」のBGMから引用




Im-V7-bVI-Im-II7-V7


 となるが、このII7も元はといえばサブドミナントマイナーのIIm7がV7を前にしてドッペルドミナントとしてメジャー化したものに過ぎないわけ。[A-1]と同理由でV7を省略すればこれも、


Im-bVI-Im-IIm7


 という、「トニックマイナーとサブドミナントマイナーの関係」に抽象化できる。そして[B]パート。





[B]
Fm
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:---------3---3---|-------------3---|
A:-----------------|---------3-------|
E:-1---1-----------|-1---4-----------|
G7
+ + + + + + + +
G:-----------------|-----------------|
D:---------5-------|-5---3---1-------|
A:-----------------|-------------5---|
E:-3---3-------3---|-----------------|
大林宣彦監督映画「理由」のBGMから引用


VIm-V7


 で、まあ、「トニックマイナーとサブドミナントマイナーの関係」だけでこのテーマ曲は説明可能なわけだ。演奏も可能だ。




 言わずもがな「理由」は、バブル崩壊を巡る1990年代初頭〜半ばを時代的背景に、”億ション”を巡る(普通の)サラリーマン、暗躍する占有屋、空疎なご近所関係、「帰らざるをえない『家』が崩壊した現代だからこそ『家(=マイホーム)』を求める」男の姿、「家庭」を求めても崩壊せざるを得ない青年の姿…。その人間関係のなかで生じた奇跡的な「絆」を見事に描いている。大林監督は1990年代「崩壊する家族の絆」を「ふたり」「あした」などで半ば絶望的に描いていたが、本作品では「崩壊しきった人間関係のなかでこそ(!)生まれてしまう絆」を映像化した。本当に素晴らしいことだ。本当に久しぶりの大林映画出演である小林聡美氏、「あの夏の日」から成長した演技を見せる厚木拓郎君と宮崎あおい嬢の名演がなんとも嬉しい。そして音楽として、ベートーヴェンの時代にも、そんな時代にも、「トニックマイナーとサブドミナントマイナーの絆」が息づいている。そして今なお、不動産を巡る人間ドラマは後をたたない。あらゆる動乱の時代に、そのコード進行が存在している。




 この解釈は本当に正しいのかどうかは未だに不安。卑怯・無責任と思われるのを覚悟で言えば、某社会法人との音楽を巡る論議なんかより、こういう問題のことばかり考えている。「トニック<->サブドミナントマイナー」を巡る世界を、僕は描写していく。




■関連記事:前回