デュオニオス的音楽&アポロン的音楽





紀伊國屋書店


テオレマ







ニーチェ, Friedrich Wilhelm Nietzsche, 西尾 幹二


悲劇の誕生







ニーチェ, Friedrich Nietzsche, 秋山 英夫


悲劇の誕生







市倉 宏祐, ジル ドゥルーズ, フェリックス ガタリ


アンチ・オイディプス

 「ピタゴラスって実在するか否かわからん人物なんだろ? あの時代の”新興宗教の教団”みたいな連中で、そんな集団がなんで1つの世界観を作り、その影響を現代の人類にまで与えているのか?」 仕事を開始しているが、正月酒がまだ完全に抜けていない。これは近所に住む某劇団のリーダーDS氏の家に正月酒を飲みに言ったときの話だ。ニーチェ現代思想ドゥルーズガタリ「アンチ・オイディプス」)、石ノ森章太郎サイボーグ009”神々との闘い”」、武内直子美少女戦士セーラームーン」。ギリシア音楽とギリシア哲学について考えることは決して無駄ではない。




 ピエル・パオロ・パゾリーニ監督映画、「アポロンの地獄」。演奏された弦楽器リュラの、複数の弦が生み出す調和した響き=器楽的特徴をフィーチャーした楽曲は、”アポロン的音楽”と呼ばれる。それに対置される概念として”デュオニソス的音楽”というキーワードがある。




 デュオニソス(ディオニュソス)は、ギリシア神話に登場するゼウスと、ゼウスの浮気相手テーバイ王女セメレの子で、ブドウ酒・酩酊・豊穣の神。浮気相手の子供ということで迫害を受けるが、ブドウ栽培→ワイン精製の技術を開発し、東方を地盤として民衆の支持を得る。「集団的狂乱と陶酔を伴う当方の宗教の主神」(Wikipedia)と呼ばれるように、その”教え”は、ドラッグ的恍惚・それを基とした”祭り”を伴ったモノであったようだ。ある意味、1960年代のヒッピー文化の元祖と言える。




 このようにデュオニソスは、陶酔的・激情的芸術を象徴する神とされる(by ニーチェ)。

 紀元前6世紀のピンダロスによる『ピュテリア○詩』にはアウロス(2本ひと組で用いられるオーボエ属の管楽器)の成立についての物語がある。これによれば、ペルセウスがアテナの知恵を借りてメドゥーサ(ステンノ、エウリュアーレとともにゴルゴン三姉妹とよばれる)の首を斬り落としたとき、エウリュアーレの泣き叫ぶ声を聴いてアテナがアウロスを作った、と説明されている。これは音楽が人間の内面を表出すること、感情を模倣することに着目した寓話と解釈することができる。また、このような音楽を「デュオニソス的音楽」ということもある。

※坂崎紀編著「西洋音楽史」より引用。




 ジョン・コルトレーンオーネット・コールマンほか、モダンジャズからインプロヴィセーションへの流れ、そこで表出されるミュージシャンの激情というものは「デュオニソス的音楽」の部類に入るんだろうな。浅い解釈であろうが。管楽器(=一般的に単声音楽)の象徴となっていることが面白い。陶酔&祭祀の音楽というものは世界的に「デュオニソス音楽」なのかもしれん。日本の雅楽だって、基本は管楽器(3管=篳篥+笙+龍笛)の音楽だし。それに”東方”だし。




 「アポロン的音楽」というのは「デュオニソス的音楽」の対概念。ゼウスとレトの息子で、アルテミスと双子であるアポロンは、音楽(竪琴=弦楽器)・牧羊・予言の神。一般的に理性・知性を司る神とされる。

 アウロスの成立に関する神話とは対照的な、リュラ(竪琴の一種。基本は7弦)の成立に関する物語が『ホメロス讃歌』(紀元前9世紀末)に見られる。ここではヘルメスがアポロンのもとから牛を盗んだ時、その腸を弦とし、亀の甲羅を共鳴胴にすればよい響きがすると考えてリュラを発明し、後にアポロンに与えたと説明されている。これは音楽の感情的側面よりも、リュラの複数の弦が調和した響きを生み出すことを強調しており、器楽の持つ客観的な性格に着目したものとみなせる。このような性格の音楽は、「アポロン的音楽」とよばれる。また、この考え方を進めて、ギリシャ人は規則的な星の運行を「天体の音楽」と表現した。

※坂崎紀編著「西洋音楽史」より引用。




 アポロンは、音楽の神であり、予言(=神託)の神でもあったが、上記のような弦楽器から天体にいたる世界観の構築のなかで、音楽=予言という等式が成立していたことが大変興味深い。デルポイアポロンの神託所であり、ソフォクレスの「オイディプス王」をモチーフしたパゾリーニ監督の「アポロンの地獄」で描かれた予言(=「お前は父を殺し、母と交わる」)もアポロンの神託であった。オイディプス王は、「理性的な」天体学から予測計算されたアポロンの神託から、「神(=父)」的抑圧を受けたわけであり、盲目となり荒野を彷徨ったのだ。これが「オイディプス・コンプレックス」(=エディプス・コンプレックス)である。




 「デュオニソス的音楽」と「アポロン的音楽」という対立概念の深淵を、「管楽器」vs「弦楽器」、「感情」vs「理性」という二元論で測ることはあまりにつまらない。ドウルーズ=ガタリが「アンチ・オイディプス」は、歴史上のあらゆる文化(神話・宗教・科学)が”無意識”を圧迫することで人間をオイディプス・コンプレックスに陥れていることに対する批判だ。無意識を抑圧すものとして、主体性や、自己同一性といった近代的概念が存在する。それゆえに、人間は矛盾をきたす。




 極めて現代的な問題を寓話化したものとしてギリシア神話を読むことができるだろう。パゾリーニは、「アポロンの地獄」を撮ったのち、「テオレマ」という映画を撮るのだが、「テオレマ」は、とある共同体にフラリとやってきた他者が、彼ら・彼女らの主体性・自己同一性を破壊し、無意識を解放していく物語だ(ヘンテコな映画だが)。テーマ音楽はエンニオ・モリコーネによるジャズ風の楽曲。キーはFメジャーで、4/4拍子、旋律をタブ譜にすると、



F Bb Eb7
+ + + + + + + + +
e:----|-----------------|-----------------|
B:----|-1-----------0-1-|-3-------4---2---|
G:2---|-----------------|-----------------|
D:----|-----------------|-----------------|
A:----|-----------------|-----------------|
E:----|-----------------|-----------------|
F Bdim E7
+ + + + + + + +
e:-----------------|-----------------|
B:-1-----------0-1-|-3-------5---3---|
G:-----------------|-----------------|
D:-----------------|-----------------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|
A E7 Am7 D7
+ + + + + + + +
e:-----2-0---------|--------0--------|
B:-2-0-----2-0-----|-1-----1-3---1---|
G:-------------1---|-----------------|
D:---------------4-|-----------------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|
G7 Bb C7
+ + + + + + + +
e:-----------------|--------3--------|
B:-------3---------|-3-----3-5-------|
G:-4------42-------|-----------------|
D:-------------5---|-----------------|
A:-----------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|


 コード進行は、1〜4小節


I-IV-VIIb7-I-#IVdim-VII7


 トニック(I)から完全四度上昇を二回繰り返しサブドミナント(IV)を経てサブドミナントマイナー(VIIb7)へ、長二度上昇してトニック(I)に戻り、減五度上昇(#IVdim)してそこから完全四度上昇(VII7)。このVII7はダイアトニック・コード的にはドミナントVIIm7b5となるべきものだが、5小節目冒頭のIIIのドッペルドミナント(=セカンダリドミナント)としてメジャーとなっている。5〜8小節は


III-VII7-IIIm7-VI7-II7-IV-V7


 ダイアトニックコード的にはIIIm7となるはずのIIIがメジャーコードである理由は、「その後VIへと進むから」だ。ここでも”揺れ戻し”が非常に面白く、一旦完全五度上昇してVII7に戻り、その後ドッペルドミナントとしてメジャー化されないIIIm7に戻ってから、完全四度上昇を繰り返し(VI7-II7)、サブドミナント(IV)→ドミナント・セブンス(V7)で、テーマ冒頭に戻る。モリコーネはイタリア映画であまり知名度のないものにも、素晴らしい楽曲を描いているので、是非この曲はDVDで見るなりして聴いて欲しい。




 森田芳光監督、松田優作主演映画「家族ゲーム」の構成が「テオレマ」をモチーフにしたものである、という映画批評を中学生時代読んだことがあった。「家族ゲーム」も、とある共同体にフラリとやってきた他者が、彼ら・彼女らの主体性・自己同一性を破壊し、無意識を解放していく物語だ。




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