モリー&テンブルック(競馬の歌)





Bill Monroe and His Blue Grass Boys


The Very Best of Bill Monroe and His Blue Grass Boys







Bill Monroe


The Essential Bill Monroe & His Blue Grass Boys







True Life Blues: The Songs of Bill Monroe







Rose Maddox


The One Rose: The Capitol Years







ヌーラ オコーナー, Nuala O’Connor, 茂木 健, 大島 豊


アイリッシュ・ソウルを求めて

 キャンディ・ダルファー(Candy Dulfer)で御馴染み(でもないか?)、アヴェレイジ・ホワイト・バンド(Average White Band)の「ピック・アップ・ザ・ピーセズ(Pick Up the Pieces、『断片を集めろ!』『些細なことにこだわりまくれ!』)」。我々コロンボ古畑任三郎ファンに相応しい楽曲で私はケータイの着信音にしているが、アヴェレイジ・ホワイト・バンドは「平均的白人バンド」などと称しつつ、実に”黒っぽい”音を出すことで有名になったブルー・アイド・ソウル(「青い眼をした人間=白人のソウル音楽」の意、念のため)&ファンク・バンドだ。




 音楽批評の真似事をしているが、私なりに「これこそ音楽批評で言うべきことだ!」とずっーと好きなローリングストーン誌の文章がある。アヴェレイジ・ホワイト・バンドについて語った部分だ。

 要するにAWB(=アヴェレイジ・ホワイト・バンド)は、ブラック・ミュージックを演奏したがっていたアメリカの白人バンドと同じ立場にあったのである。イギリスの植民地支配を受けたスコットランド人という立場から、文化的抑圧が理解できたのだ。AWBにとって、ブラック・ミュージックとは心の内面に入り込んでいくものであって、表面的な真似をするべきものではなかったのだ。

※「ローリングストーン・レコードガイド」より引用




 蓋し名言だ。元AWBのベーシスト兼コンポーザー、アラン・ゴリー(Alan Gorrie)が、ダリル・ホール(Daryl Hall)のソロアルバムに参加していたり、元AWBのドラマー、スティーヴ・フェローン(Steve Ferrone)がエリック・クラプトンEric Clapton)のバンドで叩いていたりすると異様に感動してしまう。昨日述べたように、「ケルト(=アイルランドスコットランドウェールズ)がアメリカ音楽(黒人音楽、白人音楽共に)に与えた影響」を示す一つの歴史的事実だ。




 ケルトアメリカ音楽に与えた影響」。その実例は、ビル・モンロー(Bill Monroe)やオズボーン・ブラザーズ(Osbone Brothers)が演奏した「モリー&テンブルック(Molly and Tenbrook)」(左のamazonリンクで視聴可)などに見ることができる。この歌は別名「the Racehorse Song」(競馬の歌)という。近代競馬は、17世紀ブリテンにて発生したといわれるが(参照)、我らがケルトの地、アイルランドは競走馬・名馬の産地として昔から定評があり、競馬文化も盛んであった。「モリー&テンブルック」はアイルランドで少なくとも19世紀初頭には成立していたアイリッシュ民謡である。とりあえず、旋律を。キーはビル・モンローのCDにあわせてBメジャーで。旋律をモチーフにしたフィドル(=ヴァイオリン)のフレーズをアレンジしてみよう。



B E
+ + + + + + + +
e:-----------2-----|-4----242------4-|
B:---------4-4-----|-5-------5-----5-|
G:-4---4---4-------|-4-------4-----4-|
D:-4---4-----------|-----------------|
A:-2---2-----------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|
E B F#7 B
+ + + + + + + +
e:---4-4---2-2-----|-----------------|
B:---5-5---4-4---4-|---2---4-2-0-----|
G:---4-4---4-4---4-|---3-4-------1---|
D:-----------------|---4-4-----------|
A:-----------------|---------2-------|
E:-----------------|-----------------|
B
+ + + + + + + +
e:--------------2--|-----------------|
B:---------4----442|------------42---|
G:-4-------4-------|-4-------4----4--|
D:-4---------------|-4-6-4-6-------46|
A:-2---------------|-----------------|
E:-----------------|-----------------|


 うぅむ、トニック=コードBメジャー時の6th=13th=G#のフレーズの入れ方がブルースっぽいなぁ! フィドルの演奏そのものがケルト→黒人音楽→アメリカ音楽ラインの実証とも言えるのだが。コード進行は


 I-IV-I-V7-I


 と、トニック、サブドミナントドミナントの単純なスリー・コード。そもそもスリー・コード音楽が世界を制覇した影には絶対ケルト音楽の影響がある、ということを証明することが現在のこのブログの論点だ。




 さて、ケルト民謡であったこの曲は、「アメージング・グレース」(参照)などと同じく、資本主義国の帝国主義段階の”恩恵”を被り、海を渡り、アメリカに辿り付き、1870年ごろにはアメリカ黒人たちの中に定着する。黒人の労働歌として歌われながら、1920〜30年代頃にはアメリカのアパラチア山脈に伝承し、白人ブルーグラス音楽でのレパートリーになった。そして、ビル・モンローが録音した。




 コレは事実だ、といいつつ、中学1年生で現在平面図形(中1段階では幾何学というところまでいかず、線対称、点対称、並行、垂直などの概念を叩き込むことに主眼が置かれている)の理解に苦しんでいる長男が生まれた頃に調べた内容なので、ちょっと不安になってウラをとる。ものすごい歴史的事実だと思うのに、意外とweb ページは少ない。多少見つかったので、コチラから引用。

 カントリーと競馬は密接に関係があります。ケンタッキーダービーで知られているケンタッキー州ブルーグラスの大御所だったビルモンローの故郷ですし、オズボーンブラザーズが歌っている「モリーテンブルックス」という曲は競馬をテーマにしたものです。

 「競馬ネタ」は、どうやら筆者の勘違いではないようだ。つづく。




■関連リンク:アイルランドと競馬 競馬の歴史

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