モリー&テンブルック(競馬の歌)
Bill Monroe and His Blue Grass Boys The Very Best of Bill Monroe and His Blue Grass Boys Bill Monroe The Essential Bill Monroe & His Blue Grass Boys True Life Blues: The Songs of Bill Monroe Rose Maddox The One Rose: The Capitol Years ヌーラ オコーナー, Nuala O’Connor, 茂木 健, 大島 豊 アイリッシュ・ソウルを求めて |
キャンディ・ダルファー(Candy Dulfer)で御馴染み(でもないか?)、アヴェレイジ・ホワイト・バンド(Average White Band)の「ピック・アップ・ザ・ピーセズ(Pick Up the Pieces、『断片を集めろ!』『些細なことにこだわりまくれ!』)」。我々コロンボ→古畑任三郎ファンに相応しい楽曲で私はケータイの着信音にしているが、アヴェレイジ・ホワイト・バンドは「平均的白人バンド」などと称しつつ、実に”黒っぽい”音を出すことで有名になったブルー・アイド・ソウル(「青い眼をした人間=白人のソウル音楽」の意、念のため)&ファンク・バンドだ。 音楽批評の真似事をしているが、私なりに「これこそ音楽批評で言うべきことだ!」とずっーと好きなローリングストーン誌の文章がある。アヴェレイジ・ホワイト・バンドについて語った部分だ。
※「ローリングストーン・レコードガイド」より引用
うぅむ、トニック=コードBメジャー時の6th=13th=G#のフレーズの入れ方がブルースっぽいなぁ! フィドルの演奏そのものがケルト→黒人音楽→アメリカ音楽ラインの実証とも言えるのだが。コード進行は I-IV-I-V7-I と、トニック、サブドミナント、ドミナントの単純なスリー・コード。そもそもスリー・コード音楽が世界を制覇した影には絶対ケルト音楽の影響がある、ということを証明することが現在のこのブログの論点だ。 さて、ケルト民謡であったこの曲は、「アメージング・グレース」(参照)などと同じく、資本主義国の帝国主義段階の”恩恵”を被り、海を渡り、アメリカに辿り付き、1870年ごろにはアメリカ黒人たちの中に定着する。黒人の労働歌として歌われながら、1920〜30年代頃にはアメリカのアパラチア山脈に伝承し、白人ブルーグラス音楽でのレパートリーになった。そして、ビル・モンローが録音した。 コレは事実だ、といいつつ、中学1年生で現在平面図形(中1段階では幾何学というところまでいかず、線対称、点対称、並行、垂直などの概念を叩き込むことに主眼が置かれている)の理解に苦しんでいる長男が生まれた頃に調べた内容なので、ちょっと不安になってウラをとる。ものすごい歴史的事実だと思うのに、意外とweb ページは少ない。多少見つかったので、コチラから引用。
「競馬ネタ」は、どうやら筆者の勘違いではないようだ。つづく。 ■関連記事:前回 |