木南晴夏から楠木正成に至る「桜井の訣別」
















 我々牧歌組合は、木南晴夏という一人の女優を対象として、小林一三氏が開拓した阪急平野をめぐる音楽の旅(参照)を続けている。


 さて、木南晴夏(きなみはるか)嬢の、


 木南


という姓である。二文字をドッキング(=合体)すると、


 


になる。逆も成り立ち、楠を分解すると木南(きなみ)になる。

 木+南=楠
 楠=木+南





 司馬遼太郎の「街道をゆく」シリーズが好きだ。日本の街道を往きながら歴史の旅をするというコンセプト、司馬遼太郎氏のあるときは暖かく、あるときは毒舌な筆で描かれる風景(手にとるようだ)、文体、全てが好きだ。「街道をゆく」シリーズは、寝入る前に読むのに最適で、幸せな夢のなかへ誘ってくれる。


 第三巻「陸奥のみち ほか」に、「河内みち」が含まれており、古代から現代へ至る大阪が描かれている。その歴史的コンテキストのなかに、楠木正成がいる。

 正成は鎌倉幕府をたおした河内ゲリラ隊の隊長であり、さらに足利尊氏を首領とする武家勢力と戦って湊川で戦死した。王を尊び覇を賤しむという宋学という多分に形而上的な学問を身につけてそのイデオロギーに殉じたという意味では、日本最初のイデオロギストであったかもしれない。かれのイデオロギーはかれの敵であった室町幕府においては悪思想であったが、ずっと降って徳川初期に水戸光圀が主導した水戸史観によってかれは強烈な正義の座に据えられ、幕末、幕府を倒そうとする志士たちにとってたとえばマルクスのような存在になり、ときには日本における革命の神ともいうべき戦慄的な存在となった。(司馬遼太郎街道をゆく」『河内みち』より引用)



 大阪=河内、そして神戸市(湊川)に足を伸ばすかたちで、阪急平野を語る上で、楠木一族のことを語らないわけにはいかないようだ。


 河内には、私財をなげうち約半世紀をかけて江戸幕府に対して大和川の水害対策を陳情した中甚兵衛という義民が存在する。その根気づよい執拗な精神を司馬先生は以下のように語っている。

 その執拗さは楠木一族に似ている。正成は1332(元弘2)年に出現して南朝に加担し、北条政権とそれにつづく足利勢力と戦い、やがては湊川で戦死するのだが、その子孫は各地に潜伏して足利幕府の最盛期にも諸方にかくれつつ、すくなくとも百年以上その存在を隠顕させつづけるのである。河内にはあるいはそういう伝統があるのかもしれない。
司馬遼太郎街道をゆく」『河内みち』より引用)



 20世紀少年で小泉響子役に抜擢された木南晴夏。彼女がアイドルとしてデビューしたのち約7年ものあいだ、視聴率二桁にいたらない番組に脇役として出演し女優としての技能を磨いていたことに対して、多くの人は驚いたものである。彼女の辛抱強さ、忍耐強さ、執拗さ。楠木一族の執拗さに似ている。

 木+南=楠
 楠=木+南



 上の式にここで戻ろう。私たちの空想を援護射撃するかのごとく、このような記述がある。

 案内板によると枚方宿問屋役人木南家で、屋号は田葉粉屋、楠木一族の後裔で江戸時代初期から庄屋と問屋役人を兼ね、くらわんか舟(案内板には「船」が使われている)の茶船鑑札を所持していた。
(上記サイトより引用)



 これもである。

 佐用郡と揖保郡の木南氏

正成─○─○─○─政光─正氏─氏成─○─○─○─○─正貞─忠正

正成の六世の正氏は、実は南帝の孫なり。南朝亡ぶの時に方り、和州山辺郡針別(現在の奈良県奈良市大字針が別所)という所に到り、姓名を改め小南次郎民部大輔と号す。楠木政光の養うところとなり、楠木家に於いて長じ、政光の女を娶り、氏成を生む。是より改めて木南氏と成る。その後二世、三世に至り、播州揖西郡千本の邑に移る。正貞、忠正を生む。正成より此に至るまで降って十三世を数える。木南忠正は元禄の頃、揖保郡千本村の庄屋を勤る。
(上記ブログより引用)



 このような掲示板もある。

 楠一族の一部の人はその後名前を変えて、 木南(きみなみ)→こみなみ→小南(こみなみ) と名乗ったそうです。
(上記サイトからの引用)



 木南家は楠木一族の末裔で、大阪の各地に潜伏したようだ。復活のときを信じて。


 楠木正成はイデオロギストのみならず、数々の芸能(江州音頭、能など)の生みの親でもあった。今日は彼を題材とした唱歌「桜井の訣別」をみなみらんぼう氏の素晴らしい表現(You Tube)を参照しつつ、淡々としたコードアレンジを解析する。キーはAメジャー。歌詞はこちらを参照



| A | A | A | A | A | E | A-E | A |
| A | A | A | A | A | A | A-E | A |
| E | A | D | A | D | A | E | A |



 I, V, IV のスリーコード。装飾的なコードアレンジを使用するならば、代理コードを挿入するなど、如何様にでもアレンジすることができるだろう。だがこのみなみらんぼう氏の演奏は、敢えて単純なコードアレンジを用い、頭打ち(1小節の頭でのみのコードストローク)を使用することで、楠木一家の無念を淡々と表現し、控えめな編曲によりその悲しさを際立たせているように思う。


 木南晴夏から楠木正成へ。私たちの音楽街道は続く。

■関連リンク:京街道2橋本〜守口

■関連記事:
J宝塚歌劇団「すみれの花咲く頃」或いは木南晴夏 in 阪急平野四角形